式内 阿刀神社
Contents
概 要
社号 阿刀神社
読み:古 アト、現 あと
延喜式神名帳 山城国葛野郡 阿刀神社
所在地 京都市右京区嵯峨広沢南野町80
旧地名 山城国葛野郡
御祭神 主祭神 天照皇大神
配祀神
明治16年(1883年)の『神社明細帳』では、祭神を天照皇大神とする。一方『神祇志料』では、阿刀宿禰祖の昧饒田命(味饒田命)を祭神とする。
例祭日 10月13日
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』
畿内:658座(大231座・小427座)
山城国 式内社122座 大53座(並月次新嘗・就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣)
葛野郡(カドノ) 20座(大14座・小6座)
式内社
近代社格制度 旧村社
創建 年代不詳
本殿様式
境内摂末社(祭神)
なし
一口メモ
丸太町通で広沢郵便局前の分かりやすい場所にあるはずだが、建物の間の奥にある小社で入り口には、社号標があるだけで探しまわった。日曜の朝7時で通行量が少ないので郵便局前に路駐。急ぎ足で参拝する。
歴史・由緒等
由 緒
式内阿刀神社は阿刀家の祖霊社である。 阿刀家は、かつてここで鎮魂伝を相承していた。また、阿刀家はここで嵯峨天皇の御作と言う天照大神のお木像をおまつりしていた。 昔は、この社から東の方を嵯峨野と言った。後水尾天皇はここにあった燈象菴におこしのとき、阿刀栄元に 虫の音も長き夜飽かぬ故郷に 楢思ひ添う松風ぞ吹く との御色紙を下さった。 阿刀家は弘法大師の生母の里方である。 弘法大師は、三教指帰の初稿をここで書いたと言われている。 阿刀家は弘仁14年正月真言宗の執行職として東寺に移ったが、嵯峨との交渉には変わりはなかった。角倉了以の家も清原国賢の家も阿刀家と親族であった。この両家の関係は、近世嵯峨文化の基源を成したと言われている。「京都観光NAVI」
境内・社叢
社号標 鳥居
本殿
地名・地誌
地 図
交通アクセス・周辺情報
参 考
「京都観光NAVI」 http://kanko.city.kyoto.lg.jp/
「京都十六社朱印めぐり」 http://www.kyoto-16sha.jp/
延喜式神社の調査さん
0件のコメント